前世(過去世)の因縁って、あるのかな。

 以下は、前世(過去生)のカルマ(因縁)があるという前提で書いている。

 個人的なイメージだが、人生は巻物に描かれた地図の上を歩んでいるようなものだと思う。巻物なので、遠い先は見えない。もちろん選択の余地はあり、道(因縁)が枝分かれしていて、どれを選ぶかでその後の因縁の展開は変わる。新たな道を切り拓く余地もあるかも。

 人生のさまざまな選択の中で、進学先、仕事の選択、結婚、退職後の生き方は、4つの重大な決断だ。それぞれの決断後にかかわる相手と、時間・場所・出来事を共にする。

 不思議なことに、学校や職場で馬が合わないと距離置いてきた相手ほど、なぜかクラスや席や配属が一緒になる。腐れ縁、逆縁。これは、偶然ではなく前世の因縁で引き合うのだろう。そして案の定、何かが起きるのだ。

 前世の因縁で出会う結婚相手とは、因縁を日々共有して、人生の道をある程度は同行して歩むことになる。結婚は、前世の因縁を発現し、経過し、越えていく心の修行のプロセスの一面もあるのだろう。※結婚する相手が、前世で夫婦だった人とは限らない。

 前世で夫婦だったからといって、いいことばかりではない。前世でトラブっていた夫婦なら、その後に因縁が出て、やはりトラブる。

 唯物論者なら即離婚のケースでも、前世ありと思う人は、相手を責めるより、因縁の発現と受け止め、できれば共に乗り越えようと、まずは思うのかもしれない。前世の因縁と受け止めて、我慢しろという意味ではない。即離婚か、もう少し頑張るのか、どちらがいいのかは、一概にはいえない。

 いずれにしても、今生で自分が生み出す身口意(しんくい:口と心と行い)が、また新たな原因となって次の因縁につながるのだし、そこは自分の努力でおそらく変えられるので、善処を心がけたいものだ。「善い行動や善い言葉や善い思考によって、心に刻まれたポジティブなエネルギーが、・・・煮られ熟成するとき、さまざまな幸福に満たされる」(小池龍之介編訳『超訳 ブッダの言葉』、063頁、法句経120)。