朝の日課―7回の合掌

 昔~し、オヤジが言ってた。80年以上前の九州の風習。

 朝起きたら、まず外でお日様(陽の神様)の方向に合掌、井戸(水の神様)に合掌、竈(火の神様)に合掌、神棚に合掌、仏壇に合掌、・・・・・・後は何だったかな。

全部で7回と聞いたような。丑寅(うしとら:東北)方向に合掌? 壁に貼ってる御札に合掌? 誰か教えて。

福田ますみ氏の『Hanada』論説(2023年3・6月号)への書評・疑問―(5)まとめ―

 結局、福田ますみ氏が、月刊『Hanada』の2023年3月号と6月号に載せた論説を何度読み返しても、「小川さゆり氏の主張が虚偽だ」と納得できる根拠はどこにもなかった。

 福田論説の6月号では、冒頭に世界平和統一家庭連合が、立憲民主党の石垣のりこ議員にたいして、同議員のユーチューブチャンネルに投稿されている小川さゆり氏の発言を削除するよう、東京地裁に仮処分命令申立を行った旨、記されている(6月号、294頁・下段)。

 その結果は、「家庭連合の削除要請は全面的に却下された。・・・・・・判断するまでもなく(削除を命ずる)理由がないことから、これを却下する」と(295頁・上段と下段。下線と補足の括弧書きは星本による―下同様)。

 これにたいして福田氏は、「裁判官は合理的常識的な判断を放棄し、詭弁、屁理屈に終始している。彼らによる捏造まで疑われ、およそありえない不当決定(不当判決)である」(同頁)とまで述べている。正直、私は “裁判官が捏造したとの根拠もなしに、福田氏はそこまで言うのか” と大変驚いた。裁判でいつも真実の結論が出るとは限らないが、「裁判官が捏造した」との疑義にはさすがに根拠もないであろうにと、開いた口が塞がらなかった。

 (この地裁の判断を教団は即時抗告して、高裁の判断を仰ぐことになったが、結論が覆ることはなかった。つまり、地裁・高裁の判断として、小川氏の主張は「重要部分において真実に反するとは言えない」が、2023年夏に確定したのである。―2023年9月15日、追記)

 小川さゆり氏による外国特派員協会と著書での告発の意義は、その後、他の宗教2世をはじめとして、多くの関係者が、そのすさまじい被害の実態を赤裸々に告発することになった点である(もちろん、小川氏以前からも、さまざまな被害実態が明らかになっていた)。そうした告発の対象は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に限らず、いくつかの宗教団体が含まれている。だから、大局的な見地からすれば、福田ますみ氏など世界平和統一家庭連合の擁護者ないし現役信者の一部が、小川さゆり氏のみを批判することは、当該団体の内部では重要な案件に感じられるのかもしれないが、社会的には何の意義も見いだせない。

 小川さゆり氏など複数の被害者が、勇気を出して詳細な告発をしてくれたことに、大いに敬意を表し、心から感謝したい。今後、私たちは、有権者、市民、雇用者、従業員、公務員、宗教の信者、親ないし子など、どんな立場であれこうした被害が起きないように、そして、宗教団体の暴走が起きないように、自分の持ち場で何ができるかを考えていくことが大切だと思う。さらに、政府・自治体も議会も行政も、これまでのように、宗教団体にかなりのフリーハンドを許容するスタンスから、もう少し踏み込んで、より一層「信教の自由に基づく良識ある管轄・監督」となるよう、立法や制度作りを進めてもらいたいと切に願う。

 小川さゆり氏の外国人特派員協会と著書での主張も、第一義的な動機は、単に個人の恨みや家庭内の問題をぶちまけたのではなく、今後はできるだけ被害者が出ないように、という利他と義憤なのだから。

 最後に、これまでは福田氏の『Hanada』論説の3月号と6月号について疑問を呈したが、福田氏は7月号にも論説を上梓している。そこで福田氏は、全国弁連全国霊感商法対策弁護士連絡会)に対する批判を展開している。この7月号の論説については、弁護士の郷路氏が、「はてなブログ」で、詳細に批判している。そのシリーズ最初のリンクを貼っておくので、ぜひ参考にされたい。↓

https://mgouro.hatenablog.com/entry/2023/06/28/170601

福田ますみ氏の『Hanada』論説(2023年3・6月号)への書評・疑問―(4)母親からのお金の無心と給与の支払い日―

 福田ますみ論説の6月号では、小川さゆり氏が母親にアルバイト代を取られたとする件について、さゆり氏の主張を「嘘である」(6月号、300頁・中段)と断定している。この件についての福田氏の論旨とその根拠は、非常にわかりづらく、さゆり氏の説明が嘘であると納得できる根拠は、私の読解した限りでは、どこにも見いだせなかった。

 福田氏は「アルバイト代が銀行振り込みになり通帳に記録が残ったことで、それ以降も母親に没収されていたという事実はなかったことが明らかになった」(300頁・上段)と説明しているが、“通帳の残高が減っているなら、母親が没収した。それがないのだから、母親による没収はなかった” と福田氏は言いたいのだろうか(福田氏の主旨が意味不明である)?

 (以下、2023年8月30日に追記:※母親からお金を取られることを阻止するために、さゆり氏が給与を銀行振り込みにしたのだから、それ以降に取られることが激減したとすれば、当たり前のことである。そして、法律によって給与は従業員に直接支払わなければならないことになっているので、銀行振り込みになる前は、母親は、さゆり氏のバイト先の施設の人からお金を受け取ったのではなく、さゆりさんから受け取っていたはずである。いずれにしても、銀行振り込みになる前は現金での給与渡しだったのだから、「母親がさゆり氏からお金を無心していたというのは嘘である」との福田氏の主張が、銀行口座の残高の推移によって確認できるとは思えない。―以上、2023年8月30日に追記。)

 今と違い、キャッシュレスが普及していなかった時代に、さゆり氏が現金を定期的におろして財布に入れていたであろうことは、誰でも同意できることである。母親がさゆり氏から、現金で複数回にわたり、お金を無心していたとしても何の不思議もない。当事者しか究極ではわからないことにたいして、口座の残高などを巡って福田氏が予想しているのだとすれば、なぜ確定的なことを主張できるのか、疑問である。

 また、福田氏は次のように言う。「(さゆり氏が母親からの金の無心に対処するため)当時手渡しだったアルバイト代を、施設の代表にお願いして銀行振り込みに変えてもらったと主張していたが、これも嘘である。・・・・・・2015年5月に給与の支払いを銀行振り込みにしたのは小川さんの都合ではなく、施設側の都合によるもので、全職員を対象に、それまでの手渡しから銀行振り込みに変えたという。また、給与の支払い日は定まっていなかったそうだ。・・・・・・給与の支払日も決まっていないのに、母親がわざわざ施設に取りに行くことはありえない」(300頁、上段と中段、下線は星本による―以下同様)と書いている。

 給与を現金渡しから銀行振り込みに切り替えた時期と、さゆり氏が母親からの金の無心に対処するためにそれを希望したことが、時期的に同一だったとしても、何も不自然ではない。それなのに、なぜ「これも嘘」などと福田氏は断定できるのだろうか?

 さらに、労働基準法により、給与の支払日は従業員にたいして、一定の期日を定め支払わなければならないことになっている。

 『労働基準法』第二十四条②、「賃金は、毎月一回以上、一定の期日を定めて支払わなければならない」。つまり、給与の支払日がある程度は変動していたとしても、支払日はその都度決まっていたはずだし、それは従業員にたいして事前に通知されるべきものとされている。たとえば、JINJERのWebサイトからの以下の引用をご覧いただきたい。

「賃金はあらかじめ指定された一定の期日で支払われなければなりません。『月末締めの翌月25日払い』のように、毎月決まった期日を設定する必要があります。『毎月第3金曜日』のような毎月の日付が一定にならない期日設定は違法です。また、『毎月20日から25日』のように支払期日に幅を持たせることも禁止されています。一定期日払の原則は、毎月一回以上の原則と同様に労働者の生活を安定させるための取り決めです。支払日が毎月変動すると計画的な生活を送ることが困難になります」。

https://hcm-jinjer.com/blog/jinji/labor-standards-act_article-24/

 

 さゆり氏が働いていたその施設にもう一度質問に行って、“労働基準法に反して支払日も決まっていなかったのですか” などと質問したら、まちがいなく否定されるでしょうね。

 つまり、そこで働いていたさゆり氏にたいしては、給与の支払日が知らされていたはずだし、仮に支払日がある程度不定期であっても過去の経緯などから、母親にとっては予測がつく程度の情報が入っていた可能性がある。ただし、その勤務先が、労働基準法に違反していて、そんなこともちゃんとできていない、あこぎなビジネスをしていたとすれば別だ。しかし、そんな例外的な事例だとは想定しづらい。

 親とのお金のやりとりの詳細について、当事者であっても記憶がやや曖昧になってしまうことは自然なことである。また、さゆり氏の説明に「全て」「毎回」(お金を取られた)など、限定的な表現があり、それにたいして “例外があるじゃないか! さゆり氏の説明は嘘だ!”などと批判しているのであれば、部分否定を全否定に飛躍させているのであって、さゆり氏の主張の大枠を否定する根拠にはならない。

 また、福田氏は、さゆり氏の話の変遷について、「こんな話はこれまで全く出てきていない」(6月号、299頁・下段)と述べ、さゆり氏が話をすり替えたり、話がコロコロ変わったりすると匂わせている。しかし、新しい証言が後から出てきたことが、直ちに批判の論拠になるとは思えない。単に、「新たな証言が出てきた」というべきである。

 枝葉末節にとらわれずに考えれば、親からさゆり氏がお金を取られた件については、大枠としての重要部分が大切である。ここでいう重要部分とは、以下である。

  1. さゆり氏の高校在学中から卒業後数年の間に、親は十分の一献金、先祖解怨、その他教団への支出をまったくしていなかったのか。
  1. その期間に、親はさゆり氏にお金を無心して貰った(借りた)事実が、あったのか、なかったのか。

 実際、母親の説明として、さゆり氏から16万円を借りて返せなかったことはある、と説明されている(6月号、298頁・上段)。金額の多少にかかわらず、また親子の間ではあっても、人からお金を借りたら、宗教団体への支出などは減らして、まずは返済すべきだあると思う。優先順位の問題である。

 結局、母親からさゆり氏がお金を取られたことについて、東京地裁は「さゆりの高校時代、家庭に経済的余裕がないなかで債権者に献金を行っていることが認められるから、上記摘示事実は、その重要部分において真実に反するとはいえない」と判断している(6月号、303頁・中段)。昔のことなので当事者の間で、記憶違いや受け止め方の違いがある可能性は否定できない。しかし、「重要部分において」つまり大枠では、母親からお金を取られたことについて、さゆり氏が虚偽を語っているとの根拠は認められないと、裁判所は判断したのである。私はこの判断は正当であると思う。

 繰り返しになるが、福田論説を読んでも、さゆり氏の説明が嘘であると納得できる根拠は、私の理解した限りでは、どこにも見いだせなかった。私の読解力の問題なのか、福田氏の説明がわかりづらいのか、それとも論説の内容自体が論拠不成立なのか、人それぞれの立場で、感想は分かれるでしょう。

福田ますみ氏の『Hanada』論説(2023年3・6月号)への書評・疑問―(3)セクハラ問題―

 小川さゆり氏が著書などで告発した、修練会中での男性班長からのセクハラ疑惑については、重大な案件であり、メールの有無以外に証拠・証言が確認できない以上、踏み込んだ判断が難しいと感じる。我が存念は別として、不用意なことをここで書くことはできないと思っている。ただ、少なくとも確認できるレベルとしては、“修練会中に男性班長だった人は、小川さゆり氏にたいして悪い気はせず、内容によっては好意の表現ともとれるメールを小川氏に送り、当該班長は厳重注意の処分を受けた” ということであろう。
 ところが、福田論説ではさらに踏み込んで、この件では小川氏に非があったかのごとく匂わせる論述をしているという点で、大いに疑問を感じるのである。以下、その点を述べたい。
 会社や学校でこうした問題が生じた場合には、直接の当事者だけではなく、そのとき周りにいた人にたいしても聞き取り調査を行って究明する。だが、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)で、周囲にいた人に対する調査が行われたかどうかは、今のところ聞こえてこない。
 男性班長と何度か会話をしたことについて、小川さゆり氏は著書で、「そこには恋愛感情はまったくありませんでした」と書いている(小川さゆり『小川さゆり、宗教2世』Kindle版、71頁)。小川氏は修練会にただただ前向きに参加していたので、何度か男性班長と会話をしたのだろう。
 ところが、閉会式の日に、その男性班長から別の場所に連れていかれて、一緒に写真を撮ったり、その際に腰に手を回されたりした、という(72-73頁)。そして、「信者同士の交流に使っていたFacebookのアプリを開くと、先ほど写真を一緒に撮られた班長から、友達申請とメッセージが届いていました」と小川氏は述べている(73頁、下線は星本による―以下同様)。
 ところが、この疑惑について、福田論説では、次のように説明されている。「小川さんの属した女性班の班長は、小川さんが男性班長好意を持っていることに気づき、・・・・・・一方、小川さんは二十一日修練会から帰宅後、フェイスブックでこの男性班長友達申請を行ったところ、男性班長は小川さんにメールを送った。小川さんがこのメールの内容を地元の教区の担当者に見せたため、担当者は千葉中央修練所の所長に連絡した。メール自体は・・・・・・内容によっては好意の表現ともとれる内容だった。・・・・・・所長は男性班長を読んで厳重注意をし、メールの削除を命じた。なお、・・・・・・関係者は誰一人、小川さんから、男性班長に身体を触られるなどのセクハラ被害を受けたとは聞いていない。問題になったのはメールの件だけである。・・・・・・セクハラの加害者からの友達申請を承認するなど、現実にありうるのか疑問だ」(301頁・上段~下段)。
 最後の、「セクハラの加害者からの友達申請を承認するなど、現実にありうるのか疑問だ」は、福田氏の個人的意見に過ぎないし、読者に「友達申請をしたのはさゆり氏から」と印象づけようとしているように読めて、恣意的な印象を受ける。SNSは後からブロックなどいくらでもできるのだから、友達申請をみて、小川氏が不快かつ怪訝に思いつつもまずは承認したとしても何の不思議もない。
 次に、女性班長が、「小川さんが男性班長に好意を持っていることに気づき」とは、何を根拠に書かれているのだろう。そう「気づいた」女性班長の主観に過ぎないではないか。
 ところが、福田氏は「実は彼女(小川氏)のほうから男性班長しきりに話しかけたため彼も悪い気はせず、メールで少しやりとりをしただけであることが判明した」(3月号、56頁・上段)と、小川氏に問題があったかのように印象づける説明をしている。
 この出だし部分を星本が正常な表現に直せば、「修練会に前向きだった小川氏は、もう一人の女の子と一緒に、この男性班長何度か話をすることがあった」(小川さゆり氏の著書・70頁を参考に、星本作成)である。「しきりに」という文学的表現は、先ほどの「好意を持っていることに気づき」と同様、福田氏ないし当該女性班長の主観が入っているとともに、読者に特定のイメージを印象づけてしまうという恣意性を感じる。
 上記の中での男性班長が「悪い気はせず」と福田氏が表現した主旨は、男女としての好意を男性班長が持ったという意味だろうか? それとも、単に班長としてのやりがいを感じたという意味だろうか? 男性班長から小川氏へのメールについて、福田氏が「メール自体は・・・・・・内容によっては好意の表現ともとれる内容だった」と書いていることから、前者の理解でいいのだろう。
 ただ、冒頭に書いたように、Facebookに送られてきた写真、メール内容が確認できないので、これ以上の判断はむつかしい。小川氏が閉会式の日に男性班長に呼び出されたときに、その場にいて目撃していた参加者がいないのか、後日でも構わないので、それを教団は確認したうえで聞き取り調査をしたのかと、最後に疑問が残る。そして、メールも残っていないようなので、この一連の出来事がセクハラに該当するかどうかは判断不能である。なぜメールを削除するように指示されたのかも、理解できない。むしろ、メールを記録したり転送させたりして、班長ないし教団が保管して、今後の戒めとする発想はなかったのだろうか。
 いずれにしても、福田氏の文章の “(小川氏が男性班長に)好意を持って、しきりに話しかけた” という部分は、事実に基づいているとは到底思えず、読者への恣意的な印象操作に思える。
 結局、このセクハラ問題については、東京地裁は次のように判断を下している。「仮にそのようなことがあれば、さゆりは直ちに他人に相談したはずであるのに、母親も含め当時誰もそのようなことを聞いていないなどと(教団側は主張―星本、補足)して、さゆりの・・・・・・記載は信用できない旨主張し、これに沿うさゆりの母の陳述書を提出する。しかし、他人から意に反する身体接触を受けた者は、必ずしもそれを他人に相談するわけではないというべきであり、(中略)さゆりの陳述書の記載が信用できないとはいえない」(6月号、303頁・下段~304頁・上段)。
 福田氏はこの裁判所の判断について「詭弁である」(304頁・上段)と批判している。当時、母親にさゆり氏が相談したかどうかについて、さゆり氏の説明と母親などの説明が食い違っていることなどから、「詭弁」と福田氏は受け止めたようだ。しかし、「言ったはずだ、いや、聞いていない」といったことを論点にしたとしても、やはり小川氏の説明が真実に反するなどという根拠にはならないだろう。つまり、“そんなことをさゆり氏から聞いという記憶はない” と母親が言ったとしても、さゆり氏の話が虚偽だという根拠にはならないのである。

福田ますみ氏の『Hanada』論説(2023年3・6月号)への書評・疑問―(2)脱会理由の「矛盾」?―

 福田氏は、小川さゆり氏の主張内容について、「言うことがコロコロ変わる」とか「矛盾がある」と批判している。たとえば、福田論説3月号の50頁の上段から中段にかけて、小川氏が教団から脱会した理由について、「脱会のきっかけは、(親による―星本、補足)祖母の介護だったという」(上段)と書き、続いて「早くも矛盾がある。先のツイッターでは、『母は私のいないところで、“あの子いつになったら働くんだろう、早くお金いれてくれないかな”と妹に愚痴っていることを知った時、脱会と家出を決意した』とある」(中段)と書かれている。
 小川氏が脱会した理由として、異なることが小川氏によって言われているので、「矛盾」だと福田氏は批判しているようである。しかし、この「矛盾」との福田氏の見方は、根拠が成立していないと思う。
 小川氏の脱会理由は、著書『小川さゆり、宗教2世』(2023)(小学館ebooks、kindle版)の第3章「信仰の揺らぎ」を中心として説明されているように、複合的なものであり、最後の引きがねとなったのが、上記の妹に対する母親の言葉だったと小川氏はいう。複合理由を折にふれて小川氏がいろいろと話したことになぜか福田氏が着目して、「矛盾」していると論難することには、強い違和感を覚える。福田氏は、複数の理由を知ったときに、なぜ複合理由の可能性を考えずに、「矛盾」などと思いこんだのだろうか。※福田論説3月号は、小川さゆり氏の著書よりも前に出版されているので、以上のように複合理由があったことを福田氏は事前にサーベイできていなかったのかもしれない。

福田ますみ氏の『Hanada』論説(2023年3・6月号)への書評・疑問―(1)論説の意義―

 福田ますみ氏による両論説(以下、敬称略で「福田論説」などと表記する)の意義はそもそも何だろうか。今回は、この論説の効果について感想を述べる。
 「両親が覚悟の独占告白 国政を動かす『小川さゆり』の真実」と福田論説3月号のタイトルにあるように、小川さゆり(仮称)氏が、いわゆる2022年12月での「被害者救済法」の成立に影響力があったのは確かだろう。
 しかし、一人の人物の訴えだけで法律が制定されるなどありえない。現に、『産経新聞』では次のように説明されている。「親が信者の『宗教2世』は『被害は長年蓋をされてきた』と評価する一方、『返還される金額は少額で現実的ではない』と救済範囲の狭さについて懸念する声が上がった」(『産経新聞』、ネット版、12月10日)。
https://www.sankei.com/article/20221210-K24XMTDNZZO33P74LUVGAFUC4Y/


 「宗教2世」は、と複数形になっている。小川氏だけではなく複数の宗教2世の話が、被害者救済法の作成過程で参考にされている。福田氏が、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)にたいする世間の批判が間違っているというのであれば、小川さゆり氏の話が「虚言」だなどというよりも、複数の元信者・宗教2世からの告発と批判にたいしても、それぞれの内容がどのように事実と異なるのかを説明すべきだと思う。しかし、それは現時点では教団擁護派からは十分になされていないと私は思う。
 以上の意味で、福田論説は、現役信者を鼓舞する役割はあったかもしれないが、現時点では同教団にたいする世間のイメージを回復するという効果を及ぼしてはいないと思う。
 最後に、小川氏の親が言っていることとさゆり氏の言っていることが食い違っている点については、福田論説では親が言っていることが事実で、さゆり氏の主張は「虚言」と、福田氏は前提しているように見えるが、そうだろうか? それともその判断は留保しているのだろうか? たとえば、3月号の論説の48頁・上段では、(さゆり氏が)「事実でないことをたくさん言っている」との親の言葉を引用しているが、「事実でない」という親の言い分が正しいかどうかについては、何も理由が説明されていない。
 こうした問題については、直接の当事者しか最終的には真実はわからないということは、非常によくあることだ。実際、同教会の勅使河原本部長は、橋田氏と妻の意見の食い違いについて、「真実というのは当事者しかわからない」と説明している(下の動画のおよそ32分から)↓。まさに、そのとおりだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=vZDdVt4TTZo&t=1748s


 福田氏がこのように「最終的には当事者しかわからない」という立場を取っているかどうかは、どうしても両論説からは読み取れなかった。今後、どの立場なのか、そしてその理由は何かを明確にされることを期待する。

福田ますみ氏の『Hanada』論説(2023年3・6月号)への書評―(序)目的と主旨―

 これから掲載してゆく一連のブログは、福田氏が月刊『Hanada』に2023年の3月と6月に掲載した、二つの論説にたいする、市井の一読者・星本からの辛口の書評である。両論説の中で氏は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)での自身の体験を告発した小川さゆり(仮称)氏に反論して、同教会を擁護する立場から、持論を展開している。
 しかし、福田氏の論説の意義や内容について、同意できない点や疑問点が多々あるため、それを中心に述べていく。
 なお、書評をこれから綴る動機は、福田氏はじめ同教団を擁護する立場の人たちを論破しようとか、説得しようというものではない。同教団への批判・告発と、反批判・擁護の論争は続いてきたし、今後もおそらく平行線のままであろう。私のブログは、その中に一石を投じるものだ。動機は、世間の人々の意見や感想が偏らないように、両論併記された状態にしたいということである。
 小川さゆり氏の告発にたいしては、虚偽つまり嘘であるとの批判が、SNSを中心に巻き起こった。そうした批判をする人たち(主に同教団の信者と擁護派)の論調の中には、小川さんが自身の売名のために告発しているのだとか、小川さんの背後に共産主義者たちがいて小川さん操っているのだとか、同教会を潰そうとしているジャーナリストと小川さんが結託しているのだとか、小川さんの言動は親不孝だ、などがある。挙句の果てには、小川さんは精神的なご病気だから事実ではないことを話しているのだといった、あきれはてる主張も散見される。
 ほとんどの人は、そうした論調には賛同していないと推察しているが、あまり経緯を知らない人が、初めて福田ますみ氏の論説や教団擁護派のSNSを読んで、偏った意見をもってしまう可能性がないとはいえない。
 本シリーズが読まれることで、一方的な論調に偏らずに、このような視角もあるということが、世間の参考になれば幸いである。なお、本シリーズも含めて、星本の基本的なスタンスは以下である。
1. このシリーズは書評である。当事者としての一次情報も、弁護士・裁判官等としての二次情報も持っている立場ではない。
2. 最終的な真偽は、物証などがなければ、当事者以外にわからないことが多い。
3. しかし、良識ある反論は、民主主義の根幹であり、教団を批判する論調にたいして教団擁護派が反論を展開すること自体は妨害されてはならない。ただし、良識ある内容たることが必須で、診断書もなく医者でもない者が、相手のことを「あの人はご病気だから・・・・・・」などと悪口をいうことは、断じて容認できない。
4. 宗教団体の教義そのものについては、原則として「正しい」「正しくない」などとは言わず、「好きである」「嫌いである」との表現を使う。
 最後に、福田ますみ氏が『Hanada』に載せた論説には、他に、2023年の7月号がある。これは、福田氏が、同教会と対峙してきた全国弁連全国霊感商法対策弁護士連絡会)を主に批判したものである。この論説については、弁護士の郷路氏が、「はてなブログ」で一連の反批判を展開している。そのシリーズ最初のリンクを貼っておくので、ぜひ参考にされたい。↓
https://mgouro.hatenablog.com/entry/2023/06/28/170601